|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 坂 : [さか] 【名詞】 1. slope 2. hill ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 岐阜 : [ぎふ] 【名詞】 1. Gifu (pn) ・ 岐阜県 : [ぎふけん] (n) Gifu prefecture (Chuubu area) ・ 県 : [けん] 【名詞】 1. prefecture ・ 郡 : [ぐん] 【名詞】 1. country 2. district
坂本村(さかもとむら)は、かつて岐阜県恵那郡にあった村である。 旧中山道沿いの村であり、現在の中津川市の西南部、木曽川の南岸に該当する。 村名は、坂本神社〔式内社の坂本神社。論社が2社あり、坂本神社八幡宮と坂本神社諏訪社がある。〕に由来する。 == 歴史 == * 平安時代から恵那郡遠山荘の一部。戦国時代末期まで、この地域は地頭遠山氏の所領。遠山氏は千旦林城を築いて統治。 * 室町時代応仁の乱の時、信濃国松尾城主の小笠原家長と木曽の豪族木曾家豊が恵那郡に侵入。文明5年(1473年)から天文元年(1532年)の数十年間小笠原氏が恵那郡中部を支配。しかし天文2年(1533年)以降になると小笠原氏は家中の内紛により勢力が弱まり、遠山氏が恵那郡中部を奪還。 * 戦国時代末期は、遠山氏の家臣の吉村源斎が千旦林城主であった(現在の源斎岩のあたりにも砦があったという)。吉村源斎は知謀に優れ、かつ、すこぶる強力であった。武田信玄は、その名を聞き家臣になるように招いたが応じなかったため、攻め滅ぼされたと伝えられている。 * 江戸時代千旦林村は尾張藩領。茄子川村は尾張藩領と旗本茄子川馬場氏の領地に分かれていた。 * 1897年(明治30年)4月1日 - 茄子川村と千旦林村が合併し、坂本村となる。 * 1907年(明治40年) - 村立千旦林尋常小学校、村立茄子川尋常高等小学校が合併、村立坂本尋常小学校が開校。〔坂本村(近代)とは-辞書辞典解説@JLogos 〕 * 1909年(明治42年) - 郵便事業が開始される。〔 * 1911年(明治44年) - 中央本線が当村を縦断。〔 * 1917年(大正6年) - 美乃坂本駅設置。〔 * 1920年(大正9年) - 電信・電話が開設される。〔 * 1947年(昭和22年)4月 - 村立坂本中学校が開校。〔中津川市公式サイト、ノート:坂本中学校 〕 * 1954年(昭和29年)7月10日 - 中津川市に編入される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂本村 (岐阜県恵那郡)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|